「効果」の検証が皆無〜フルマラソン断念の背景

梅田市長の肝入りだった、フルマラソン大会の断念が発表されました。

当初から中止を求めていた立場としては、一区切りではあります。

ただ、フルマラソン構想によって費やされた無駄な経費(最大約800万円※額は委託業者と調整後に決定)、振り回された職員の皆さんのマンパワー。

これらは全て市民の財産でした。

総括(反省)は当然に必要でしょう。
挑戦に失敗はつきものですし、一定の初期投資なくして大きな事業への着手を検討することは出来ません。

しかし、フルマラソン構想に関しては、顛末が迷走そのものであり、とても失敗を許容出来る「挑戦」と呼べる代物ではありませんでした。

以下、詳細を述べます。

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エリートランナーや愛好家がターゲット

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市がフルマラソン大会に関するクラウドファンディングを実施した際、最も大きくアピールしていたのは

「自己ベストを狙うランナーを応援したい」というコンセプトでした。

また、市長は議会質問でも「エリートランナー」という言葉を使い、R5年2月議会では「そのような(エリート)ランナーの皆様に久喜市をPRすることができる貴重な大会」と言及しています。

さらに、フルマラソンを強力に推進していた川内議員もR5年2月議会において、「エリートマラソン」の効果に懐疑的な質疑に対して、

「(フルマラソンが)エリートマラソンだから、違う方がまた来て、ましてや(久喜マラソンなど他の大会と)開催場所が違うわけです。」と、

久喜市のフルマラソン大会が「エリートマラソン」である前提で質問をしています。

私は久喜市が、フルマラソン愛好家の方々やエリートランナーを応援することで、市民にどのようなメリットがあるのか全く理解が出来ませんでした。

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最後まで不明だった「効果」
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こうしたイベントの効果を測定する際には、一般的に「経済波及効果」の試算が行われます。

「経済波及効果」は、参加者が使うであろう交通費から宿泊費等はもちろん「観客やボランティアが使うであろう交通費」等まで試算に含めるのが通常です。

そのため、対象範囲が狭い場合は特に指標としての精度が落ちる(例えば東京から久喜に来る方が使う交通費は久喜市のメリットとは言えない)というデメリットはありますが、それでも一定の指標にはなり得るものです。

久喜市のフルマラソン構想において、こうした具体的な試算は、最後の最後まで全く明かされませんでした。

仮に算出できたとしても、久喜市には十分な宿泊施設が無いため、宿泊費による経済効果は極めて限定的です。宿泊施設が無いということは、周辺飲食店での消費も限定的です。

まして、そもそもフルマラソン大会は「田園風景が広がるフラットなエリアにコースをつくります」と謳われていました。

そうであれば、市街地と違い観客の動員も見込めないでしょう。(そもそも、東京マラソンなどと違って観客の多くは久喜市内の方でしょうから、そもそも経済効果にはカウントされません)

市長は「交流人口の増加」「知名度アップ」というワードは使っていましたが、それらは目的ではなく「手段」です。

例えば「交流人口」として久喜市を訪れた方が、久喜市に定住したり、買い物や飲食をする。

あるいは「知名度アップ」を通じて、久喜市に移住したり、久喜市で観光する。

そうした目的が果たされればいいのですが、前述のようにメインターゲットが「エリートランナー」や「自己ベストを目指す愛好家」であるならば、目的が果たされる可能性は極めて低いでしょう。

もっとも、フルマラソン大会に、期待するような効果があるならば、全国の自治体が続々と撤退している説明が尽きません。

単に「エリートランナーや愛好家の方が記録を狙う場所」であり、しかも「走ったらすぐに帰る」のであれば、市民のメリットは皆無です。

今回のケースで言えば、どうしてもフルマラソンを開催したいならば、久喜市としてのメリットが定量的に試算されたうえで、それに見合う大会設計をするべきでした。

それもなく、単に「警察協議がまとまらなかった」「思ったより経費が掛かった」という理由で断念するのはお粗末すぎます。

極端な話、経費が10億円掛かってたとしても、久喜市が得るメリットが15億円ならばGOでしょう。

しかし本件では、そもそも「効果」がいくらなのかが不明なので、費用対効果の検証も不可能でした。


総じて、本来は「手段」である「フルマラソン開催」が「目的」になっていた印象です。

フルマラソンを開催するため、つまり市長公約を果たすことために、コロコロと辻褄合わせに終始した末、断念に至りました。

「交流人口の増加」という言葉を使えば、どんな事業も正当化されるような風潮にも私は懐疑的です。

「交流人口を増加」した末に、どのようなメリットがあるのか。それが具現化出来ないのであれば、同じ予算で市の内側(既に住んでいる方)の生活利便性を上げる方が、私は適切な予算執行だと思っています。

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職員の仕事は「辻褄合わせ」ではない!
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思えば、梅田市長が表明して撤回した「久喜市役所移転構想」も本件と構造が酷似しています。

あの時も「現市役所を使い続けた場合」「移転・新築した場合」などの基本的な条件比較が行われず、「移転・新築」するというゴールに向かって、掛かるコストが明かされただけでした。

そのため「耐震化したばかりの現庁舎を引き払い、何のために移転・新築が必要なのか?」という根本的な問いに対して、行政側の答弁は非常に苦しいものでした。

5億という巨額を投じて、30年限定の間借りスペースに向かって架けられる「東鷲宮屋根付き陸橋」も然り。

屋根付き陸橋があった場合と、無い場合で、どのような違いが出るのか、条件比較は全く行われていません。

よく分からない場所で「結論」を決めて
その「結論」に向かって、職員が辻褄合わせに奔走するような現状は、極めて不適切と言わざるを得ません。

市役所が向くべきは「市民」の方です。

そして、特定の『声が大きいひと』への忖度ではなく、職員の皆さんの経験や創造を活かした意思決定をするべきです。

全体の利益(公益)に向かっていく市役所であるように

チェック機関たる議員の一員として責任を果たして参ります。

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